千里山田で暮らす
 
古い石垣、その下を流れる山田川、川の向こうには神社があって、鳥居をくぐると石畳の並木道が続いている…。

山田は今でも、そんな「昔懐かしい日本の原風景」を感じられる町だ。はるか昔、大和時代から栄えていた由緒ある町にふさわしく、あちこちに旧家や歴史ある神社・寺院が点在している。神社や寺院が多いと、必然的に緑の木々も多くなる。それも、樹齢100年を越えるであろう大木が枝を広げているのをあちこちで見かける。初めて山田を訪れた人が抱く感想の多くに「緑の多い町だな」というのがあるが、それもこの町の歴史を感じるとすんなりと納得がいく。

「初めてここに来たのに、なんだか自分の故郷に帰ってきたような気がした」と言う人も多い。それはきっと、ただ古い建物や自然が多く残っているというだけでなく、それらが今も暮らしの中にしっくりと溶け込んでいるからだろう。神社の森で遊ぶ子どもたちを見て、ふと、自分の幼い頃を思い返す。人々の暮らしの中に、神社のお祭りやお寺の行事が自然と溶け込んでいる。子どもたちが悪さをすると、きちんと叱ってくれる和尚さんがいる。町も、住んでいる人も由緒正しい。そんな山田の魅力を紹介したい。
 
 
 
▲山田の町並みはどこか懐かしい
銅鐸・古代鏡・古墳などが出土されたことからも分かるように、山田は古代から「聖地」とされてきたようだ。千里丘陵の東の入り口に位置する伊射奈岐神社は、大和時代にその起源を持ち、今も山田の町の「氏神さん」として、初詣や七五三には大勢の人で賑わう。聖徳太子のお告げによって建てられたといわれる圓照寺、行基の創建といわれる法相宗・永安寺、地域の神を祀った八王子杜。それら有名な神社・寺院だけでなく、道端に祀られている小さな神様を見つけるのも、この地を歩く楽しみのひとつ。太鼓神輿や権六おどりなどの無形の歴史的資源も数多く残されており、この地が昔から「聖地」であったことを偲ばせる。




そもそも、この地が「山田」と呼ばれるようになったのは、伊射奈岐神社の創建と深く関わりがあるといわれている。
時は第21代雄略天皇22年(477年)。伊勢神宮に祀られている天照大神(あまてらすおおみかみ)が雄略天皇の夢枕に立ち、「自分一人では寂しい。丹波国に祀られている豊受大神(とようけの おおみかみ)をともに祀るように」と神託。驚いた雄略天皇は、伊勢神宮の斎宮・倭姫(やまとひめ)にこれを伝え、倭姫が豊受大神を伊勢市山田、高倉山麓の山田ケ原に遷座したという。
 このとき、天照大神が今度は倭姫のの夢枕に立ち、「自分の親神伊射奈岐命・伊射奈美命をふさわしい場所に祀るように」と神託。倭姫の命を受けた岡本豊足彦が、五柱の神を奉祀するべき霊地を探した結果、雄略天皇23年(479年)に山田の地に奉祀した。その際、豊受大神が奉祀された伊勢の山田ケ原にちなんで、当地も「山田ケ原」と呼ばれるようになったことが、「山田」の地名の起源となった伝えられている。

▲神社鳥居のすぐそばに、伊射奈岐神社の由緒書きがあります。  
ところが、「山田」という地名の起源には、さらに古いもう一つの伝承も残されている。「日本書紀」によると、第10代崇神天皇の時代に皇居と神居が分けられ、これまで宮廷内に祀られている天照大神を奉戴するにふさわしい神居を探すようにと、斎宮・豊鍬入姫に命じられた。その命は第11代垂仁天皇皇女・倭姫(やまとひめのみこと)へと託され、垂仁天皇26年に伊勢神宮に奉祀されるまで、各地を転々と遷宮を繰り返した。元伊勢と称する場所が各地に見られるのは、このためだという。
倭姫は、遷宮の途中で山田の上之山で一年あまり留まった際、千里丘陵の尾根を見て「山田ケ原のようだ」と呼び、これが山田の起源となったと伝えられている。つまり「山田」の名付け親は倭姫という訳である。
※伊勢神宮の斎宮・倭姫の名前は長い間、代々天皇の皇女に引き継がれた。よって、両エピソードに登場する倭姫は別人。
 
このように、「山田」の地名の起源には二種類の異なった言い伝えがある。どちらの言い伝えからも分かることは、山田は、古代から「聖地」として認証されていたということだろう。実際、当時の山田はうっそうとした森林に覆われ、「霊地」にふさわしい神秘的な雰囲気が漂っていたらしい。
 
 
 
▲山田川と風情たっぷりの民家が並ぶ山田東地区
山田がいかに古くから栄えていた町であったかを今に伝える言葉が、「山田千軒」だ。
この言葉がいつ頃できた言葉なのかは定かではないが、山田では古くから大きな集落が形成されていた。人通りが多くなると、かって田んぼ道でしかなかった道がいつしか、街道へと発展していく。山田でも、いつの頃からか山田市場から小野原に抜ける道を「小野原街道」、宇野辺から上新田に抜ける道を「山田街道」と呼ぶようになった。
街道とは別の発展を遂げた道もある。両側に店が立ち並び、商店街へと発展していったのだ。昭和20〜30年代には、「山田銀座」と呼ばれる商店街ができており、にぎわいを見せていた。当時の写真を見ると、今はもう見かけなくなった種類の店も多い。「あんろく屋」「油屋」「ブリキ屋」「ラジオ屋」…。

山田千軒といわれた頃の民家は、今も山田川や旧小野原街道沿いに残っている。長い歴史の中ではぐくまれてきた民家は、往時の郷愁をかきたてるだけでなく、歴史的資産としても価値が高い。そしてそのような長い歴史を有する町だからこそ、山田は今もなお、より住みよい町へと発展を続けてゆけるのだろう。悠久の歴史の中で、多くの人が暮らし、育んできた町づくりへの知恵や情熱は、未来へ向かって綿々と受け継がれてゆくのだから。
 
 
 
▲馬上門
▲馬上門
山田が、昔からいかに「由緒正しいまち」であったかを今に伝えるのが、「山田銀座」の一角にそびえる馬上門だ。石垣の水路と松並木を前に配したこの門は、江戸時代に山田村の庄屋をつとめた竹中家の表門。人が馬に乗ったまま出入りしたといわれるほど高く大きな門であることから、親しみをこめて「馬上門」と呼ばれてきた。

この門だけでなく、この辺り一帯はかって時代劇のロケに使われたこともあるほど、風格ある庄屋屋敷が立ち並んでいたという。山田が単なる農村ではなく、豪農庄屋が多い裕福な「まち」であった歴史の証拠が、ここにある。

馬上門の主である竹中家も、そんな豪農の一人だった。今も残されている馬上門を見ていると、豪農が数多く住んでいた格調高い山田の町並みを、今も鮮明に思い浮かべることができる。
 
 
 
▲伊射奈岐神社・花房嗣郎さん
「山田」という地名の由来と深くかかわっている伊射奈岐神社。山田伊射奈岐神社とも呼ばれ、ここの主神が伊射奈美命であることから「姫の宮」とも呼ばれているが、正式名は「延喜式内伊射奈岐神社」。
山田地区だけでなく、万博、千里丘、新芦屋まで含めた広大な範囲の山田の氏神さんで、初詣や七五三は大勢の人でにぎわう。春祭と秋祭も盛大で、特に秋祭には、子どもを乗せた太鼓神輿の巡幸が行われ、力くらべをする「木あたり」という行事が行なわれる。建立1550年目をむかえる今年、吹田市の有形文化財にも指定された伊射奈岐神社。まだ日本が「日本」という名前でなかった時代から、ずっと山田のまちと、その暮らしを見守り続けてきた。山田のむかし、いま、そしてこれからについて、この神社で生まれ育った代表役員・花房嗣郎さんにお話をお聞きした。
 
「僕が子どもだった頃…昭和20年頃の山田は、あたり一面、山、山、山でした。その山の間に田んぼがいっぱいあって。まさに『山田』という地名、そのまんまの景観でしたね」と、当時を懐かしむ花房さん。神社で育った花房さんにとっては、神社の森も遊び場だった。「よくゴンタしてましたね。杉の木の実で杉鉄砲を作ったり。神社の前の、今、交番があるところが当時は広場になっていて、子どもたちはよくそこで遊んでいました」。

山あり、田んぼあり、池ありだった、あの頃の山田の暮らし。今思うとあの頃が一番優雅だったと言う花房さんは、伊射奈岐神社の始まりも、そんな山田の暮らしと密接に結びついていると言う。「山田は、元々は農村でした。五穀豊穰を願う農民たちの祈願の場として、この神社が設立されたと思うんですよね。日照りが続いたときは、神社で夜通し太鼓を叩いて雨ごい祈願したこともあったそうです。それだけ、神社と民衆が深く結びついていた。地域密着の、土着の神社ですよね」

その伝統は今も残っており、初詣など特別な行事のときだけ賑わう神社とは違い、普段から住民とのかかわりは深い。おさい銭に自分の願いを託し、神社の前で手を合わせる人々。「自分にあった仕事につけるように」という願いを書いた紙とともに、千円札を封筒に入れて奉納する人もいる。

▲伊射奈岐神社  
「僕は、神道は宗教ではないと思ってるんですよ」と、花房さんは言う。「というのも神新道には他の宗教のような『教え』がない。だから、人々を集めて説教したりすることもない。でも、願い事をかなえてもらおうと、毎日のように来られる方々がいる。そういう方々を暖かくお迎えすることが私たちのつとめだと思っています」。

神社に子どもが訪ねてくることも多い。そのつど花房さんは、他の宗教のような有り難い教えではなく、「感謝の気持ち」を教えてあげるという。「暑い日、木の陰に行ったら涼しいよね。そんなときは木に感謝してみよう」「きれいな水が飲める幸せを感じたら、水にも感謝してみよう」。

「もともと、神道は自然を崇拝する気持ちから生まれました。木を御神木にしたり、大滝を神にしたり。自然を敬い、感謝する気持ちを子どもたちも忘れずにいてくれれば…」

山田が、今も自然と共存する街並みを保っているのは、自然の大切さを教え続ける伊射奈岐神社の存在があるからこそ、では…。花房さんの話を聞きながら、そんなことをふと思った。
 
 
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